みらきょーシンキング
明治神宮にて
吉住|みらきょーシンキング|2009年03月17日(火)23:36
Tag: 関東 / 無用の用
明治神宮にて神職についている中学の同級生に会いました。
彼は外交官になる夢をかなえた後、思うところがあって國學院大學で神職過程を修め神職についたそうです。勉強が良くでき人に対して丁寧で優しいという印象がありましたが、クラスが一緒になったことがないためじっくり話す機会もなく、大人になってから互いに話を交わしてみる、という不思議な縁となりました。
人の縁がめぐるように、物や事象にも時を経てめぐることがあると感じます。
今日はそれが同時に起こりました。
本殿に参拝し、ふと脇机を見ると「教育勅語」と書かれた冊子が。
「そういえば昔、社会科で習い試験でもよく書かされた用語だった」と思い出しました。
戦争を正当化し国家の意思統一を強めるために政府により天皇の名にて発布されたもの、というマイナスイメージもあり、長い間忘れていた用語です。
久しぶりに目にしたのも何かの縁かなと思いつつ、文面を読んだところ、心が揺れました。
当然のこととして理解できるやさしい内容であるにも関わらず、なぜこんなにも心に迫るのか、なぜこんなにも新鮮に感じるのか。
一つの理由に、言葉が真っ直ぐできれいだから。
言葉に装飾や喩えはありません。大切なこと必要なことのみが淡々と綴られています。尊大でなく卑屈でもなく、力強い文面です。
私自身は年年、美しい言葉を使えなくなっているように感じています。自分磨きを怠っていることが一番の原因ではありますが、20年~30年前とは生活環境が激変していることも関係しているでしょう。
各種メディアから知る言葉を混ぜて話し、今時の会話として楽しもうとしますし、仕事上では横文字・略語やIT関連の専門用語を使うことによって付加価値をつけざるを得ない場合もありますし、あえて遠まわしな言い方や喩えを使って、ストレートに伝わりすぎることを避けてしまう場合もあります。
また一つの理由に、現代教育の課題に対する解を感じたから。
数年前より、社会人・職業人として自立していくことができるようにするキャリア教育の推進が強く求められています。文部科学省のある委員会では「キャリア教育」と「職業教育」は同義なのか、また違いは何かについて今、検討されているようです。
用語をきちんと定義しておくことは、関係する人達の間で認識をひとつにし、内容を深め作っていくために重要です。未来教育設計を起こして後、関わってきた経済産業省や文部科学省のプロジェクトでも「デュアルシステム」「キャリア教育」「起業家的精神教育」等々の意味するところについてメンバーで検討し、どう言い表すことが最適かを実際の活動経験の中で決めてきました。
当社で使用する言葉についても「私共の用語定義」として対象者や教育目的の違いを元に分類しています。
ただ、○○教育といわれるものを増やしていくことが重要なわけではないと思っています。様々な教育手法や教育プログラムを、それは「導入教育だ」それは「補助教育だ」と分類して理解しやすくする作業は実施側には必要な場合がありますが、教育を受ける側には定義よりも、何をどうすればいいのかを身にしみて実感する、それに向かって動き始められる、ことが大切です。
極端な言い方を許してもらえるならば、「職業教育」は「キャリア教育」に包括されるものなのか、それとも同義なのかを決めたからと言って教育成果に大きな変化をもたらすことにはならないでしょう。
「教育勅語」を読み、キャリア教育が求める一つの人材像がここにあると感じました。あれこれ用語を増やさず、誰にでもわかる言葉で日々の自分はどうですか?と問いかけ、指針となってくれるものの大切さ。
「木を見て森を見ず」に陥りそうな取り組み方をしてはいけないと自戒する機会となりました。
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