開拓者精神が凝縮された島|未来教育設計

みらきょーシンキング

開拓者精神が凝縮された島

吉住|みらきょーシンキング|2007年02月08日(木)23:28
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当社が離島活性化人材育成事業を手伝うことになったことから、私は初めて沖縄から300キロ離れた大東諸島に関係することになりました。
正直に申しますとそれまでその存在すら知りませんでした。「南大東?どこかで聞いたような気が。」そうです、全国の天気予報で出てくるのでなんとなく刷り込まれていたのです。北大東に至ってはまったく知識ゼロで。沖大東が射爆場になっていることに驚き。。。それで多大な補助金が降り島の税収のほとんどを占めていることに妙に納得し。。。
ですが、島の開拓の歴史を聞き島人の営みに触れるにつれ、これは大変な教育題材そのものなのではないかと思うようになりました。なぜなら当社が人財育成のベースに置いている「様々な社会環境の中で人として生き抜く力」と「島の開拓精神」の根底に流れるものが繋がっていると感じたからです。

大東諸島は約180年前にロシア海軍に発見され、ボロジノ諸島と名づけられました。沖縄では古来よりうふあがり島(はるか東にある島)と呼ばれ、存在は知られていたものの、島を取り囲む高さ15メートル前後の険しい岸壁に上陸する人もなく、太平洋に浮かぶ絶海の無人島でした。
この開拓に着手したのが、八丈島出身の玉置半右衛門で、明治33年に南大東島の上陸、36年に北大東島への上陸が果たされました。南大東島では甘藷農業事業を主に行い、北大東島では燐鉱採掘事業を主に行い、沖縄本島北部や伊是名、宮古、八重山諸島から労働者が渡りました。最盛期には出稼ぎ者で島人口が4000人にも増えたそうですが、A沼さんの二六荘も一日に300人の宿泊者を受け入れるなど目がまわる忙しさだったそうです。
北大東島の燐鉱は昭和25年に閉山されましたが、他では見られない特徴をもっていました。アルミナ鉄の含有量が多い為、戦闘機の機体を作るアルミの原料となりました。
島の所有者が玉置商会から東洋製糖(株)に、東洋製糖(株)から大日本製糖(株)に移り、終戦時は米軍統治下となり、昭和39年には土地所有権問題が解決し、農民が自分の土地を持てるようになりました。今は両島ともさとうきびが基幹産業となっています。
最初の上陸者達が池を見つけて飲料水とし、仮の宿舎を建てて密林を開墾し、それからわずか100年。現在では、りっぱな役場が建ち、海水淡水化施設が作られ、大型機械で農業が営まれ、小中学校や診療所など必要な機能を保有する孤島。手付かずの資源に目をつけ、自らの生活圏を切り開き、糧を作ってきた過程が凝縮された島です。皆さんはどのように感じられるでしょうか。
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