未来教育設計|みらきょーぶろぐ

みらきょーぶろぐ

正しい言葉で話すこと

吉住|みらきょーシンキング|2009年03月19日(木)23:43
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前々回、教育勅語の言葉の美しさについて感じたことを書きましたが、日経ビジネスに掲載されていたスズキ自動車の鈴木会長のインタビュー記事を読んで、今度は「正しい言葉」について考えます。

経営会議で販売部門担当者が「販売は大変厳しい」と言い、生産部門も「生産は厳しいです」と言った際に、鈴木会長はちゃんと正しい言葉で言いなさい、とおっしゃるそうです。販売部門は「クルマが売れません」、生産部門は「売ってくれないから生産能力が余って困っている」と正直に言いなさいと。
確かに言葉の指す意味がまったく違ってきます。

昨冬あたりから何かのイベントやフォーラムの頭には「百年に一度の金融危機で」と話されることが多く内心うんざりしていました。社交辞令としては聞き流せても、本当の原因をさぐらなければならない時だとわかっているはずなのに、まだ言いますかと。
世の中の流れであるから仕方ないとして弁解したり、言い方を変えて内部の衝突を避けていますと経営会議の意味はなくなり、成果を生み出す道も見つからないことになります。

とはいえ、正しい言葉で話すにはパワーも肝も要ります。会議参加メンバーが後ろ向きになっていること、相惜顔面の風潮が組織に漂っていることもあるでしょう。その時、リーダーや会議のマネジメント役は何を忘れてはならないか。

怖れず、真摯に「ちょっと待った!」をかけていきたいと思います。

教育勅語

吉住|みらきょーシンキング|2009年03月18日(水)22:40
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「教育勅語」は国民の永遠不変の道徳教育の基礎ともいわれ、十二の徳が説かれています。(孝行・友愛・夫婦の和・朋友の信・謙遜・博愛・修学習業・智能啓発・徳器成就・公益世務・遵法・義勇)

「教育勅語」意訳(口語文)

 国民の皆さん、私たちの祖先は、国を建て始めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。そして全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。
 国民の皆さん、あなたを生み育ててくださった両親に、「お父さんお母さん、ありがとう」と感謝しましょう。兄弟のいる人は、「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。縁あって結ばれた夫婦は、「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。学校などで交わりをもつ友達とは、「お互い、わかっているよね」と信じあえるようになりましょう。また、もし間違ったことを言ったり行った時は、すぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。誰でも自分の能力と人格を高めるために学業を鍛錬するのですから、「進んで勉強し努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業に就き「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世のため人のために働きましょう。ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。
 いま述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。
 このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。

明治23年10月30日
御名・御璽
出典:明治神宮崇敬会刊「たいせつなこと

明治神宮にて

吉住|みらきょーシンキング|2009年03月17日(火)23:36
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明治神宮にて神職についている中学の同級生に会いました。
彼は外交官になる夢をかなえた後、思うところがあって國學院大學で神職過程を修め神職についたそうです。勉強が良くでき人に対して丁寧で優しいという印象がありましたが、クラスが一緒になったことがないためじっくり話す機会もなく、大人になってから互いに話を交わしてみる、という不思議な縁となりました。

人の縁がめぐるように、物や事象にも時を経てめぐることがあると感じます。
今日はそれが同時に起こりました。

本殿に参拝し、ふと脇机を見ると「教育勅語」と書かれた冊子が。
「そういえば昔、社会科で習い試験でもよく書かされた用語だった」と思い出しました。
戦争を正当化し国家の意思統一を強めるために政府により天皇の名にて発布されたもの、というマイナスイメージもあり、長い間忘れていた用語です。

久しぶりに目にしたのも何かの縁かなと思いつつ、文面を読んだところ、心が揺れました。
当然のこととして理解できるやさしい内容であるにも関わらず、なぜこんなにも心に迫るのか、なぜこんなにも新鮮に感じるのか。

一つの理由に、言葉が真っ直ぐできれいだから。
言葉に装飾や喩えはありません。大切なこと必要なことのみが淡々と綴られています。尊大でなく卑屈でもなく、力強い文面です。

私自身は年年、美しい言葉を使えなくなっているように感じています。自分磨きを怠っていることが一番の原因ではありますが、20年~30年前とは生活環境が激変していることも関係しているでしょう。
各種メディアから知る言葉を混ぜて話し、今時の会話として楽しもうとしますし、仕事上では横文字・略語やIT関連の専門用語を使うことによって付加価値をつけざるを得ない場合もありますし、あえて遠まわしな言い方や喩えを使って、ストレートに伝わりすぎることを避けてしまう場合もあります。

また一つの理由に、現代教育の課題に対する解を感じたから。
数年前より、社会人・職業人として自立していくことができるようにするキャリア教育の推進が強く求められています。文部科学省のある委員会では「キャリア教育」と「職業教育」は同義なのか、また違いは何かについて今、検討されているようです。
用語をきちんと定義しておくことは、関係する人達の間で認識をひとつにし、内容を深め作っていくために重要です。未来教育設計を起こして後、関わってきた経済産業省や文部科学省のプロジェクトでも「デュアルシステム」「キャリア教育」「起業家的精神教育」等々の意味するところについてメンバーで検討し、どう言い表すことが最適かを実際の活動経験の中で決めてきました。
当社で使用する言葉についても「私共の用語定義」として対象者や教育目的の違いを元に分類しています。

ただ、○○教育といわれるものを増やしていくことが重要なわけではないと思っています。様々な教育手法や教育プログラムを、それは「導入教育だ」それは「補助教育だ」と分類して理解しやすくする作業は実施側には必要な場合がありますが、教育を受ける側には定義よりも、何をどうすればいいのかを身にしみて実感する、それに向かって動き始められる、ことが大切です。
極端な言い方を許してもらえるならば、「職業教育」は「キャリア教育」に包括されるものなのか、それとも同義なのかを決めたからと言って教育成果に大きな変化をもたらすことにはならないでしょう。

「教育勅語」を読み、キャリア教育が求める一つの人材像がここにあると感じました。あれこれ用語を増やさず、誰にでもわかる言葉で日々の自分はどうですか?と問いかけ、指針となってくれるものの大切さ。
「木を見て森を見ず」に陥りそうな取り組み方をしてはいけないと自戒する機会となりました。

また笑っちゃった。

吉住|みらきょーシンキング|2009年03月11日(水)00:58
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灰Tさんから事務所お引越しのご案内メールをいただいた。

その署名にぷっと笑わされました。

…………………………………………
朝日新聞の記者さんに取材を受けました。
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000902250001
記者さん「年齢は書いていいですか?」
ハイタニ「右半身が22歳、左半身が22歳♪」
記者さん「新聞なので…できません…(汗)」
…………………………………………

相変わらず楽しい灰Tさん。

40歳のことを「2回目のハタチ」と表現される人もいるけれど、
「右半身が20歳、左半身が20歳♪」のほうがナイスボケ!

明るくっていいですね~。

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